ちょうど20年前の今日、
私は、センター試験の翌日で、
ある意味絶望に打ちひしがれ、なかなか寝付けなかった翌日の朝だった。
その当時、京都 長岡京に住んでいた私は、
強い縦揺れの衝撃にその瞬間飛び起き、窓、部屋の扉を横揺れのさなか開けたのを鮮明に記憶している。
数日経って、神戸の大学を目指していた私は、同じく神戸の方の看護大を目指していた彼女と二人で大学の状況確認へ。
街中は、まるで昔勉強した教科書の戦後焼け野原が写っていたあの写真と変わらない光景が目の前に広がり、
かなりのショックを受けたのも記憶している。
そして、大学受験の方も結果としてうまくはいかなかった。
この経験を通し、今までの生き方、もっというと、成り行きに任せた生き方を、
いつ「死」を迎えるかわからない人生、
だから、決して後悔しない、
「あの時こうしておけば良かった。」
そう思わずにある意味いつでも死ねる様に行動する必要性があることを感じた。
先の津波被害は記憶の風化が被害を大きくしてしまった原因の1つとして言われている。
「津波の被害があったところに、また家を建ててしまった。」
人はどうしても様々なエゴが出てしまう。人だからしょうがない。
でも、経験から何を学び、どう変化させていくか。
それができるのも 「人」 である。
記憶は経験である。決して、この記憶は風化させてはならない。
今日この日、色々な意味で当時つらかった日々を思い出し、
今一度、「自分」と見つめ合い、内省し、これからに繋げていくことが大切だと感じた。
そして、一旦壊れてしまったものは元には戻らないけれど、
努力や根性、そして強い意志で、
たとえそれが別の形かも知れないが、
「復活できる。」
と、改めて感じた日となりました。